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映画の社会学2011第11講 批評的方法(4)作品の背景 [映画の社会学]

映画の社会学 第11講 批評的方法(4) 作品の背景

<課題作品>

『宇宙戦艦ヤマト 劇場版』(1977年公開)

監督:舛田利雄
脚本:藤川桂介、山本暎一
音楽:宮川泰

『宇宙戦艦ヤマト 劇場版』はテレビ放送板を再編集して公開されました。配給収入は9億円、観客動員数は225面2000人にものぼりました。1977年日本映画興行収入9位を記録し、最終的な興行収入は21億円でした。この映画公開後、テレビ放送板監督で、原作者の一人でもある松本零士の『銀河鉄道999』(1979)、『機動戦士ガンダム』(1981)などの劇場アニメーションが続いて公開され、アニメブームが生じ、今にいたります。その意味で『宇宙戦艦ヤマト』はアニメブームの火付け役と考えられています。

 『宇宙戦艦ヤマト テレビ放送版』
(1974年10月6日~1975年3月30日、26回)
日曜19時30分読売テレビ、裏番組『アルプスの少女ハイジ』
『猿の軍団』

企画・原案・製作:西崎義展
監督・設定デザイン:松本零士
構成:舛田利雄、西崎義展、山本暎一
音楽:宮川泰
メカニックデザイン:松本零士、スタジオぬえ
監修:山本暎一、舛田利雄、豊田有恒
演出:石黒昇
 テレビ局に提案する企画の段階では1年間という物語の設定に合わせて4クール1年間(51,52回)の放送が予定されていました。しかし実際に行われた放送局との交渉の中で3クール(39回)へ短縮されることになりました。
 実際に制作が始まると、いくつかの理由からさらに放送回数が26回へ短縮され実質的な打ち切りになりました。
1.西崎プロデューサーが会議魔で会議によって制作時間が不足したこと
2.裏番組に視聴者を奪われ視聴率が低迷したこと
3.予想以上の制作費の赤字(1本100万円)がでたこと

 つまり『宇宙戦艦ヤマト』の第1作目は企画者たちの意図が十分には表現されたわけではありません。彼らの思いは続編で表現されることになりました。

 視聴率は低迷したのですが、SFファンやアニメーションのうけは悪くありませんでした。制作やアテレコ現場にファンが押しかけるという状況は少なくなく、最後のアテレコは公開録音のような状況になりました。こうした動きは『海のトリトン』(1972年放送)からの動きであり、この作品に西崎プロデューサーは手塚治虫のマネージャーとして関与していた。
 西崎はテレビ版を再編集して海外に輸出しました。海外でこの作品は一定の評価を受け、その評価は日本に知らされます。こうした海外への輸出と同時に、ファンへ積極的に働きかけ、「ヤマトファンクラブ」が結成されました。こうした働きかけによってファンからの再放送へのリクエストが増え、再放送時の視聴率は20%をこえました。こうした動きは雑誌の特集へと結びつき、実際にはアニメーション雑誌創刊へとつながり、映画成功へと結実しました。

 『宇宙戦艦ヤマト』ではアニメーション映画史上初の徹夜組が登場しました。ファンを中心に始まったヤマトブームはやがてアニメーション全体のブームへと結びつきました。これまでブームの大部分は「送り手」(製作者)の仕掛けに消費者が乗っかかる形で形成されています。しかしアニメーションブームについてはそうではなく、消費者が自分趣向に従って行動することで形成された、初の「消費者主導のブーム」でした。


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