社会学入門2012 第9講 地位と役割(4) [社会学入門]
社会学入門2012 第9講 地位と役割(4)
まずは今回の題材を紹介します。
『スジナシ 東京上陸スペシャル』
出演:笑福亭鶴瓶、妻夫木聡、宮藤官九郎
2004年11月名古屋市中央区CBCスタジオ収録
『スジナシ』は1998年放送開始。開始当初は名古屋限定の深夜番組でした。反響の大きさから1時間枠、系列局(TBSなど)での放送、あるいは土曜夕方へ移動し、現在も放送が続けられています。このSPは166回放送分です。
【スジナシとは?】
笑福亭鶴瓶が毎回魅力的なゲストを迎え、台本ナシ(スジナシ)、打合せナシ、NGナシ! 一発勝負のぶっつけ本番!!アドリブだけの即興でドラマを作り上げる、CBC制作の人気番組。
どう展開していくのか?出演者だけでなく、カメラ・音声・スイッチャー等、すべてのスタッフも台本ナシ。全員が瞬間瞬間の緊張感を共有しながら一致集中して創る、先の読めない「その場のドラマ」 。
毎回ワン・シチュエーションでセットを組み、その設定だけを頼りに即興ドラマを作り上げる。ディレクターからのOKの声がかかるまで演じ続けるのがルール、腹の探り合い・駆け引き・呼吸のずれなどもそのまま見せる、技量勝負の丁々発止 。
(以上、DVDのパッケージより引用)
このドラマではセットを組むために状況だけが設定されています。それ以外の設定はありません。その場で地位が決められるため、あらかじめセリフを考えたり、役作りしたりといった準備ができません。その場で決められた地位について、その場ですべてを考えながら演じていきます。いわば役者としての瞬発力が試されるのです。
しかしながらよく考えてみると、こういう状況というのを私たちも日常生活の中で体験する可能性があります。そこでは今までの自分の体験が生かされることになります。
【妻夫木が衣装選びに悩んでいる理由】
最初のカットで妻夫木が衣装選びに悩んでいます。それはどうしてでしょう。衣装は「地位」を固定するアイテムであり、どの衣装にするかで演技の内容が決まってしまうからです。
学ラン=中学、高校の(男子)生徒
白衣=医師あるいは看護師
つなぎ=工場労働者
衣装だけでなく、小道具(アイテム)も地位を特定する可能性があります。時計、めがね、車など。また化粧や髪型も場合によっては地位を特定することがあります
さて最初に妻夫木が仕掛けました。
「親父!」
この一言で二人の構造的地位が決められました。これによって鶴瓶は「親父として」期待される役割を演じることになります。この役割期待は演じている二人だけのイメージでしょうか?
「親父」と声をかけられたときの鶴瓶の反応はどうだったでしょうか? 後からの解説でもわかりますが、鶴瓶はこのとき自分が親父になるとは考えていませんでした。だからここで彼は驚いたように竹刀を脇に置きます。
「竹刀なんかもってちゃ、いかんと思った」
「たばこを吸っているの、怒るしかあらへんやないか」
このように考えたということは、親父についてのイメージがすでに鶴瓶の中にある、ということを表します(竹刀を持っていたら親父のイメージに合わない)。このイメージはどこからきたのでしょう?
相手の役割に対する期待は最初からそれぞれの人の中にあるわけではありません。役割期待はじつは私たちの外、社会にあります。外とはいえ、私たちは社会の中で生活しています。私たちは社会がストックしている「役割期待のイメージ」に照合して相手に役割を期待し、期待された方もストックされた「役割期待のイメージ」に照合して、相手の期待を推測します。
観客は「父親」と「息子」という地位に与えられた役割期待のイメージに照合して二人の演技をみます。
同時に鶴瓶と妻夫木は、観客がストックしているだろう役割期待のイメージに「合う」ように役(セリフや表情など)をつくります。
ここで二人はお互いにやりとりしながら、お互いが期待する役割をさぐりつつ、同時に観客が納得するような役割を互いに演じているのです。
私たちは社会がストックしている役割期待に一致する行動、つまり地位に対してストックされた社会のイメージを考えながら相手の行動を観察し、そのイメージに合致したとき、相手の地位を推測し、その地位が本物であると判断します。
鶴瓶は自分の妻を外人にしてしまいました。それには次のような二つの理由が考えられます。
→父親-息子の関係が本物に見えるように
→地位のイメージに合うように設定を修正する
私たちは自分の中に明確な役割期待を持っているのではありません。社会がストックしている役割期待を自分の中に取り込み(社会化)、それに適合するように自分の行動を選択し、相手の行動が取り込んだ役割期待に適合するかどうか吟味しています。
このように考えると、次のような結論を導き出せます。
→役割期待=規範
→役割に応じた行動=演技
地位に対する役割期待が明らかになり、役割のイメージが固定すると、役割期待は規範となって個人の行為を拘束することになります。個人は状況の変化、相手の行動に合わせて行動するだけで、後は取得した役割通りに行動するだけです。
スジナシでも最初はとまどうが、いったん、「役」が決まってしまうと、後は話の流れに沿って演技するだけになります。
人は生活の中でいつも同じ地位のまま行為することはありません。構造的地位は変化することが少ないですが、時と場所、状況によって構造的地位の内容は変化し、対人的地位が優位になることもあります。
→一日の中で地位は変化する。それに伴い役割も変わる。
私たちはあらかじめ社会にストックされた地位に対する役割期待のデータベースを取得しています。そのデータベースから地位に適合した役割を選択して行動します。さらに今までに経験したことがなかった地位についたときには、社会化というプロセスをへて地位に対する役割期待のストックを社会から取得して、行動するようになります。
社会がストックしているのは「地位=役割」イメージだけではありません。これ以外にも多くの知識のストックがあり、それらを我々は社会化というプロセスによって習得し、それを利用して生活しています。
まずは今回の題材を紹介します。
『スジナシ 東京上陸スペシャル』
出演:笑福亭鶴瓶、妻夫木聡、宮藤官九郎
2004年11月名古屋市中央区CBCスタジオ収録
『スジナシ』は1998年放送開始。開始当初は名古屋限定の深夜番組でした。反響の大きさから1時間枠、系列局(TBSなど)での放送、あるいは土曜夕方へ移動し、現在も放送が続けられています。このSPは166回放送分です。
【スジナシとは?】
笑福亭鶴瓶が毎回魅力的なゲストを迎え、台本ナシ(スジナシ)、打合せナシ、NGナシ! 一発勝負のぶっつけ本番!!アドリブだけの即興でドラマを作り上げる、CBC制作の人気番組。
どう展開していくのか?出演者だけでなく、カメラ・音声・スイッチャー等、すべてのスタッフも台本ナシ。全員が瞬間瞬間の緊張感を共有しながら一致集中して創る、先の読めない「その場のドラマ」 。
毎回ワン・シチュエーションでセットを組み、その設定だけを頼りに即興ドラマを作り上げる。ディレクターからのOKの声がかかるまで演じ続けるのがルール、腹の探り合い・駆け引き・呼吸のずれなどもそのまま見せる、技量勝負の丁々発止 。
(以上、DVDのパッケージより引用)
このドラマではセットを組むために状況だけが設定されています。それ以外の設定はありません。その場で地位が決められるため、あらかじめセリフを考えたり、役作りしたりといった準備ができません。その場で決められた地位について、その場ですべてを考えながら演じていきます。いわば役者としての瞬発力が試されるのです。
しかしながらよく考えてみると、こういう状況というのを私たちも日常生活の中で体験する可能性があります。そこでは今までの自分の体験が生かされることになります。
【妻夫木が衣装選びに悩んでいる理由】
最初のカットで妻夫木が衣装選びに悩んでいます。それはどうしてでしょう。衣装は「地位」を固定するアイテムであり、どの衣装にするかで演技の内容が決まってしまうからです。
学ラン=中学、高校の(男子)生徒
白衣=医師あるいは看護師
つなぎ=工場労働者
衣装だけでなく、小道具(アイテム)も地位を特定する可能性があります。時計、めがね、車など。また化粧や髪型も場合によっては地位を特定することがあります
さて最初に妻夫木が仕掛けました。
「親父!」
この一言で二人の構造的地位が決められました。これによって鶴瓶は「親父として」期待される役割を演じることになります。この役割期待は演じている二人だけのイメージでしょうか?
「親父」と声をかけられたときの鶴瓶の反応はどうだったでしょうか? 後からの解説でもわかりますが、鶴瓶はこのとき自分が親父になるとは考えていませんでした。だからここで彼は驚いたように竹刀を脇に置きます。
「竹刀なんかもってちゃ、いかんと思った」
「たばこを吸っているの、怒るしかあらへんやないか」
このように考えたということは、親父についてのイメージがすでに鶴瓶の中にある、ということを表します(竹刀を持っていたら親父のイメージに合わない)。このイメージはどこからきたのでしょう?
相手の役割に対する期待は最初からそれぞれの人の中にあるわけではありません。役割期待はじつは私たちの外、社会にあります。外とはいえ、私たちは社会の中で生活しています。私たちは社会がストックしている「役割期待のイメージ」に照合して相手に役割を期待し、期待された方もストックされた「役割期待のイメージ」に照合して、相手の期待を推測します。
観客は「父親」と「息子」という地位に与えられた役割期待のイメージに照合して二人の演技をみます。
同時に鶴瓶と妻夫木は、観客がストックしているだろう役割期待のイメージに「合う」ように役(セリフや表情など)をつくります。
ここで二人はお互いにやりとりしながら、お互いが期待する役割をさぐりつつ、同時に観客が納得するような役割を互いに演じているのです。
私たちは社会がストックしている役割期待に一致する行動、つまり地位に対してストックされた社会のイメージを考えながら相手の行動を観察し、そのイメージに合致したとき、相手の地位を推測し、その地位が本物であると判断します。
鶴瓶は自分の妻を外人にしてしまいました。それには次のような二つの理由が考えられます。
→父親-息子の関係が本物に見えるように
→地位のイメージに合うように設定を修正する
私たちは自分の中に明確な役割期待を持っているのではありません。社会がストックしている役割期待を自分の中に取り込み(社会化)、それに適合するように自分の行動を選択し、相手の行動が取り込んだ役割期待に適合するかどうか吟味しています。
このように考えると、次のような結論を導き出せます。
→役割期待=規範
→役割に応じた行動=演技
地位に対する役割期待が明らかになり、役割のイメージが固定すると、役割期待は規範となって個人の行為を拘束することになります。個人は状況の変化、相手の行動に合わせて行動するだけで、後は取得した役割通りに行動するだけです。
スジナシでも最初はとまどうが、いったん、「役」が決まってしまうと、後は話の流れに沿って演技するだけになります。
人は生活の中でいつも同じ地位のまま行為することはありません。構造的地位は変化することが少ないですが、時と場所、状況によって構造的地位の内容は変化し、対人的地位が優位になることもあります。
→一日の中で地位は変化する。それに伴い役割も変わる。
私たちはあらかじめ社会にストックされた地位に対する役割期待のデータベースを取得しています。そのデータベースから地位に適合した役割を選択して行動します。さらに今までに経験したことがなかった地位についたときには、社会化というプロセスをへて地位に対する役割期待のストックを社会から取得して、行動するようになります。
社会がストックしているのは「地位=役割」イメージだけではありません。これ以外にも多くの知識のストックがあり、それらを我々は社会化というプロセスによって習得し、それを利用して生活しています。
2012-06-15 20:45
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