社会学入門2011 第11講 状況の定義の発展1 [社会学入門]
社会学入門2011 第11講 状況の定義の発展
状況の定義(確認)
「人が自分の置かれた状況を認識し、その意味を解釈すること」
状況の定義は、期待された役割を推測し、適切な役割を演技するために必要な条件。
→この場合、状況の定義は「一般化された他者」の視点から行われる。そうでなければ適切な役割を取得できない。
状況の定義は社会化の中で習得され、同じ社会に所属するメンバーあるいは文化を共有するメンバーが同じ状況の定義を行う場合がある。(第7講の内容)
他者の状況を定義
役割期待を推測したり、役割取得を行う場合には、「自分の置かれた状況」を定義する。しかし定義の対象は自分だけではない。
他者の状況の定義は、相手の地位、場所、時間、一緒にいる人などをもとに、一般化された他者の視点から行われる。この場合、対象となる他者と自分とはふつうは、「同じ」一般化された他者の視点である。
今回の教材
「ハガネの女」(第1話)来週は第2話
脚本:大石哲也
演出:唐木希浩、常廣丈太(テレビ朝日)
プロデュース:中込卓也・飯田爽(テレビ朝日)、下山潤(トータルメディアコミュニケーション
2010年5月21日~7月2日 金曜23:15-24:15
ハガネと会田優介との出会い
優介はスーパーのパン屋でパンに指を突っ込んでいる。とめたハガネに「くそババァ~」と言う。
【ハガネの状況の定義】
小学生の男の子が販売中のパン(=商品)にいたずらをしている(故意に破壊している)。
→一般的には器物損壊罪にあたる。子どもとはいえ道徳的に赦されない行為。
→行為をやめさせ、悪い行為をしているということを自覚させなければならない(もと教師の判断)。
優介の母親の対応
マイクで呼ばれた母親は、まわりの人に向かって言う。
「警察を呼んでください。この人が子どもに暴力をふるうんです」
【母親の状況の定義】
自分の息子は決して悪いことはしない。だから手をつかんでいる女が子どもに悪さをしているに違いない。
→母親は子どもに全幅の信頼を置いている。
警備室にて
ビデオでチェックした後も、母親の態度のかたくなさは変わらない。
ハガネは子どもに(おそらく母親にも)謝罪を求めている。
→母親は決して謝らず、弁償だけしようとする。
「この子は意味もなくそんなことをする子じゃありません。きっとそれなりの理由があるんです。」(母親のセリフ)
状況の定義→思い込み
自分の子どもを客観的に分析できず、「自分の子に限って悪いことはしない」と思い込んでいる母親と、母親をだまし続ける悪い子どもという印象が構築される。
印象を強化する場面に直面して「固定化された思い込み」が構築される。
印象を強化する出来事
みんなに馬鹿にされいじめられる広。その広に優介が絡む。
優介の家の家庭訪問。母親は優介だけが広を助けていると主張(学年主任は「優介は広の命綱」と言っている)。家庭訪問の帰りに、優介は広につばをかけて「死んでください」と言っている。
トイレで男子に広がいじめられている。優介は突き飛ばして「やり返してみろよ。ばーか」。
職員室のハガネの机の引き出しからウサギの死体が出てくる。教室の机の引き出しをチェックした後、優介と視線があう。
服装チェックの後、トイレ掃除になった班の子どもが広をいじめる。優介が怒った顔でハガネをみる。
優介と広が3年生の女の子に怪我をさせたと連絡。優介は関与をかたくなに否定した。
なぜ先生は優介を悪者だと決めつけるんですか?
いったん状況が定義されると人間はその枠組みで人間の行動を観察するようになる。そしてその枠組みが強化されるような出来事に遭遇すると、それ以外の枠組みでは人を判断できないようになる。これを「思い込み」という。
→ハガネは優介=悪いいじめっ子という枠組みから抜け出せない=決めつけ
思い込みは一般に「個人」のレベルで生じる。
ステレオタイプ
複数の人間が同じ思い込みをするとき、その思い込みの枠組みを「ステレオタイプ」という。
→多くの人が共通して持っている決まり切ったものの見方。
このドラマはステレオタイプな枠組みを使っているため、多くの視聴者がハガネの思い込みを理解できる。
→パンに指を突っ込む子ども=悪い子ども
→友だちをいじめる行為=悪い行為
→「うちの子に限って」という母親
ステレオタイプから抜け出す?
人間は原則として「思い込み」をするということを自覚する。
真実を知らなければステレオタイプから抜け出せない。
真実を知っても、真実を真実だと信じられないことがある。
自分が信頼している(信じている)人間から真実を知らされると真実だと信じる可能性が高い。
思い込み=偏見 とはかぎらない。
偏見もステレオタイプのひとつ。
状況の定義(確認)
「人が自分の置かれた状況を認識し、その意味を解釈すること」
状況の定義は、期待された役割を推測し、適切な役割を演技するために必要な条件。
→この場合、状況の定義は「一般化された他者」の視点から行われる。そうでなければ適切な役割を取得できない。
状況の定義は社会化の中で習得され、同じ社会に所属するメンバーあるいは文化を共有するメンバーが同じ状況の定義を行う場合がある。(第7講の内容)
他者の状況を定義
役割期待を推測したり、役割取得を行う場合には、「自分の置かれた状況」を定義する。しかし定義の対象は自分だけではない。
他者の状況の定義は、相手の地位、場所、時間、一緒にいる人などをもとに、一般化された他者の視点から行われる。この場合、対象となる他者と自分とはふつうは、「同じ」一般化された他者の視点である。
今回の教材
「ハガネの女」(第1話)来週は第2話
脚本:大石哲也
演出:唐木希浩、常廣丈太(テレビ朝日)
プロデュース:中込卓也・飯田爽(テレビ朝日)、下山潤(トータルメディアコミュニケーション
2010年5月21日~7月2日 金曜23:15-24:15
ハガネと会田優介との出会い
優介はスーパーのパン屋でパンに指を突っ込んでいる。とめたハガネに「くそババァ~」と言う。
【ハガネの状況の定義】
小学生の男の子が販売中のパン(=商品)にいたずらをしている(故意に破壊している)。
→一般的には器物損壊罪にあたる。子どもとはいえ道徳的に赦されない行為。
→行為をやめさせ、悪い行為をしているということを自覚させなければならない(もと教師の判断)。
優介の母親の対応
マイクで呼ばれた母親は、まわりの人に向かって言う。
「警察を呼んでください。この人が子どもに暴力をふるうんです」
【母親の状況の定義】
自分の息子は決して悪いことはしない。だから手をつかんでいる女が子どもに悪さをしているに違いない。
→母親は子どもに全幅の信頼を置いている。
警備室にて
ビデオでチェックした後も、母親の態度のかたくなさは変わらない。
ハガネは子どもに(おそらく母親にも)謝罪を求めている。
→母親は決して謝らず、弁償だけしようとする。
「この子は意味もなくそんなことをする子じゃありません。きっとそれなりの理由があるんです。」(母親のセリフ)
状況の定義→思い込み
自分の子どもを客観的に分析できず、「自分の子に限って悪いことはしない」と思い込んでいる母親と、母親をだまし続ける悪い子どもという印象が構築される。
印象を強化する場面に直面して「固定化された思い込み」が構築される。
印象を強化する出来事
みんなに馬鹿にされいじめられる広。その広に優介が絡む。
優介の家の家庭訪問。母親は優介だけが広を助けていると主張(学年主任は「優介は広の命綱」と言っている)。家庭訪問の帰りに、優介は広につばをかけて「死んでください」と言っている。
トイレで男子に広がいじめられている。優介は突き飛ばして「やり返してみろよ。ばーか」。
職員室のハガネの机の引き出しからウサギの死体が出てくる。教室の机の引き出しをチェックした後、優介と視線があう。
服装チェックの後、トイレ掃除になった班の子どもが広をいじめる。優介が怒った顔でハガネをみる。
優介と広が3年生の女の子に怪我をさせたと連絡。優介は関与をかたくなに否定した。
なぜ先生は優介を悪者だと決めつけるんですか?
いったん状況が定義されると人間はその枠組みで人間の行動を観察するようになる。そしてその枠組みが強化されるような出来事に遭遇すると、それ以外の枠組みでは人を判断できないようになる。これを「思い込み」という。
→ハガネは優介=悪いいじめっ子という枠組みから抜け出せない=決めつけ
思い込みは一般に「個人」のレベルで生じる。
ステレオタイプ
複数の人間が同じ思い込みをするとき、その思い込みの枠組みを「ステレオタイプ」という。
→多くの人が共通して持っている決まり切ったものの見方。
このドラマはステレオタイプな枠組みを使っているため、多くの視聴者がハガネの思い込みを理解できる。
→パンに指を突っ込む子ども=悪い子ども
→友だちをいじめる行為=悪い行為
→「うちの子に限って」という母親
ステレオタイプから抜け出す?
人間は原則として「思い込み」をするということを自覚する。
真実を知らなければステレオタイプから抜け出せない。
真実を知っても、真実を真実だと信じられないことがある。
自分が信頼している(信じている)人間から真実を知らされると真実だと信じる可能性が高い。
思い込み=偏見 とはかぎらない。
偏見もステレオタイプのひとつ。
ハガネの女 season 2 (吉瀬美智子 出演) [DVD]
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- メディア: DVD
2011-07-01 09:04
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