SSブログ

2010映画の社会学第2講 メディア論的方法(1) [映画の社会学]

映画の社会学 第2講 メディア論的方法(1)
映画の歴史
演劇と映画

 それでは最初のトピック、メディア論的方法から始めたいと思います。メディア論的方法のおおざっぱな内容については第1回目の講義で説明したので、そちらを参考にしてください。

 映画の原点である原理は、1824年 イギリスのピーター・ロジェが発表した論文にあります。『うごくものの視覚的残像』という論文です。これは端的に言えば残像の原理です。人間の目は実際に見ているものよりも少し長い時間、その像を捉えています。そのため次々と別の像が現れているにもかかわらず、その新しい像を連続した像としてとらえます。こうして映画の歴史が幕開けすることになりました。
 端的に言えば映画の原理はばらばらマンガの原理です。もう少し別の表現をすれば映画の原点はアニメーションにあります。

 残像を利用した動画には当初、絵が用いられていましたが、写真技術の発展とともに絵の代わりに写真が用いられるようになり、それらを円筒の内側に貼り付けて回して見るという、ゾエトロープやブラキシノスコープが発明されました。

 こうした写真技術の発展と同時に、写真を投影するという技術も発展していきます。さらに写真や投影に関わる様々な材質の開発がありました。こうして静止画を記録し、記録されたものを投影するという技術が発展することによって映画発明の下地が完成しました。
 そして1895年フランスのリュミエール兄妹がシネマトグラフを発明し、発表しました。これが最初の映画です。これが全世界に広がっていきます。日本では1897年シネマトグラフが輸入公開されてました。シネマトグラフの発明からわずか2年で日本に映画が登場したのです。そして1899年には日本人による作品の制作・公開されます。

 さてそもそも映画を英語では、motion pictureといいます。その他、アメリカではmovie , moving picture , film、イギリスではcinemaとも呼びます。motion pictureは、動きのあるうつされた写真という意味にとれます。ちなみに日本では、映画導入当時は「活動写真」と呼ばれていたが、次第に「映画」と呼ばれるようになる。動作やしぐさが描かれた写真というよりも、映し出された写真というイメージの方が強かったのでしょう。ここには文化的な相違が見られます。

 motion pictureと呼ばれるのは、その発明過程に理由があります。前述のように映画は基本的にぱらぱらマンガやアニメーションと同じ原理で作られます。この仕組みがmotion pictureと呼ばれる理由です。

 このぱらぱら漫画の原理を利用した動画は誰でも簡単に作成することができます。ビデオなど必要ありません。デジカメで1枚1枚写真を撮っていくことで動画に変換することができるのです。



。映画草創期においては、映画は無声映画であり、放映と同時に弁士が話をしたり、オーケストラが音楽を演奏したりした。その後、1926年にワーナー・ブラザーズがフィルムの放映にあわせて、あらかじめ録音してあったディスクを再生するという、トーキー映画が開始され、1931年にサウンドトラックのついたフィルムが発明され、ついにほぼ現在の映画と同じ作品が作られるようになります。ただしこの時期に撮影された作品は黒白作品です。

 1935年に本格的なカラー映画が製作されるようになり、1950年に普及、以後、作品として何らかの意味がない限り、カラー作品が製作されるようになります。

 日本に映画が導入されるのは、リュミエール兄弟がシネマトグラフを発明した時期とほとんど同じで、1987年です。今年は日本で映画が公開されてから110年こえました。当時は活動弁士と呼ばれる人が、リズム感あふれる口調で映像にあわせて話をしていました。1899年には日本人によって日本映画が作られます。その後、着実に日本映画は産業として成長していくことになりました。


 映画が発明された後、映画はどのような場所で上映されたのでしょうか? もちろん発明当初、映画を専用に上映する場所、映画館はありません。そこで最初のうち、映画は劇場や見せ物小屋などで上映されました。映画館を英語ではmovie theaterというのはその名残でしょう。日本では歌舞伎が上演されている劇場でも公開されました。そして何かの都合で歌舞伎が上演できなくなったときのために、あらかじめ歌舞伎を撮影し、それを上映したそうです。

 こうして映画が登場して普及するに従って、演劇が映画に駆逐されるようになります。演劇と映画を比較するといくつかの相違点が指摘できます。

・入場料委金の違い
・鑑賞機会の違い
・内容の親しみやすさ

そして映画は演劇に代わる娯楽としての地位を確立していきます。1910年以降、映画専用の建物「映画館」が都市部を中心にして建築されるようになり、歌舞伎などの演劇よりも安価に映画が上映されます。こうして日本映画は娯楽としての地位を確立することになりました。

 日本映画が産業として絶頂期を迎えるのは、石原裕次郎が日活映画に出演した1958年頃です。この年の年間映画人口は約11億2000万人で映画館数は約7000館に上ります。製作された日本映画は504本、公開された海外映画は171本でした。しかしこれをピークに日本における映画産業は斜陽の時期に入り、1975年の年間映画人口は約1億7000万人、映画館数は2500館となります。製作された日本映画は356本、公開された海外映画は245本となり、この後、日本で公開される海外映画が日本映画を上回るようになりました。そしてついに1994年、年間映画人口は1億2000万人、映画館数は1700館まで減少する。製作された日本映画は251本、公開された海外映画は302本です。つまり映画産業は海外からの輸入作品に依存しています。

 しかしこの後、映画の興行収入は1996年を底に上昇をはじめます。興行収入、映画館数ともに増加し、2004年には過去最高の興行収入を記録します。この背景にはシネマコンプレック形式の映画館の増加、映画製作方式の変換などがあります。


 このように映画は演劇に変わる娯楽として登場し、庶民の娯楽として定着しました。それでは映画は演劇と比較してメディアとしてどのような特徴があるのでしょう。今回は比較のための題材として

上田誠(ヨーロッパ企画)原作・脚本
『曲がれ! スプーン』

をとりあげます。

演劇に慣れておられない人も多いと思います。まずは映画版から。



曲がれ!スプーン [DVD]

曲がれ!スプーン [DVD]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • メディア: DVD



ヨーロッパ企画「曲がれ!スプーン」 [DVD]

ヨーロッパ企画「曲がれ!スプーン」 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • メディア: DVD






nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。