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2009映画の社会学 第9講 批評的方法(3) [映画の社会学]

2009映画の社会学 第9講 批評的方法(3) 原作と映画の比較

題材:

『Little DJ 小さな恋の物語』(2007年公開)
監督:永田琴
脚本:三浦有為子、永田琴
音楽:佐藤直紀
プロデューサー:森谷雄、千葉伸大、遠藤日登思
原作:鬼塚忠、2007、『Little DJ 小さな恋の物語』ポプラ社

 映画製作の背景についてはホームページを参照してください。

http://www.little-dj.com/

<私が考えるこの作品のポイントの一つ>

この作品は白血病・恋愛作品というジャンル(このジャンル分けは私が勝手に作りました)では、主人公は一般的に「女の子」になります。例えば、

わたし的に決めている白血病・恋愛三部作は以下の通りですが、これらの作品はすべて女性が主人公で、女性が白血病で死んでいきます。

『ある愛の詩』(1970年公開、この作品も小説と映画が同時進行)
『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年公開)
『A WALK TO REMEMBER』(2002年公開)

この三部作は『ロミオとジュリエット』の枠組みを利用しています(Love Storyの典型)。映画を制作する時に過去の作品、あるいは有名な戯曲、物語の枠組みを利用することはよくあります。

 ところが、「Little DJ」では主人公は男の子です。理由はおそらくストーリーのもとになった実話の主人公が男の子(少年)だったからでしょう。しかしそれでも白血病・恋愛作品としては死亡する主人公が男の子である、というのは一般のイメージとは異なるため、工夫が必要です。

 それでは女性が白血病で死ぬ、という一般的なイメージはどのような理由で形成されたのでしょうか。
 「美人薄命」という言葉があります。一般に美人は早くなくなる、というイメージがあるということですが、まぁ、男性より女性の死の方が美しい、ということでしょう。これが女性が主人公である理由の一つです。
 つぎに男性が残されることで深い悲哀が表現される、ということが考えられます。『いま、会いに行きます』という作品では男性が残されており、男性の悲哀が表現されていました。また『ある愛の詩』でもライアン・オニールがなくなった女性を悼んで嘆いているシーンが印象的に描かれています。
 これらが女性が亡くなる理由です。

 次になぜ「白血病」なのか、ということですが、1970年代には若者の死因として、白血病が結核を上回りました。こうして現実社会の変化が作品にも影響したと考えられます。

 次に「設定の変更」について考えてみましょう。

<設定の変更(1) ストーリーの枠組み>

映画

小説

現在-2006年深夜放送:ラジオスタジオ~少年の部屋~タイトルバック

過去ー1977年函館~学校の校庭~野球の試合

現在-2006年函館:太郎の自宅

過去-1977年~横須賀の小学校の校庭~野球の試合

現在-2006年深夜放送:ラジオスタジオ~たまきはDJ~過去の病院へ

枠組みを変更した理由:

<過去→現在>の形式:現在の自分は過去の自分があったから存在する:過去との連続性

<現在→過去→現在>の形式:過去の現在に与える影響力は大きいということが強調される。
Ex.『セカチュー』では現在と過去が交互に映し出され、過去の時間の流れと現在の時間の流れがパラレルであることが表現されます。そのことによって主人公が過去に縛られ、抜け出せないことが強調されました。

 また劇中の太郎のラブレターに書かれた「忘れないで」というメッセージが実現していることを表現できます。
→ただしこれは映画を最後まで観ないとわかりません。

<設定の変更(2) 舞台の変更>

映画

小説

太郎が入院した病院:函館郊外の海辺の病院

自宅:函館市

太郎が入院した病院:三浦半島(久里浜駅)の海辺にある病院

自宅:横須賀市

舞台を変更した理由:

1.作品を映像化した時に、変更した方がイメージ近い。

『Little DJ』の場合:プロデューサーが以前から気になっていた函館に監督を連れて行き、あちらこちらをロケハンしたそうです。函館は1977年の街並みを残しており、函館市から1時間程度の場所に病院があり、また星の鑑賞にぴったりな場所(函館山)がありました。これが舞台を横須賀から変更した理由です。

イメージに合わせて、原作とは異なる舞台を設定した作品
『クローズドノート』:原作は東京(?)。映画は京都-奈良。ただし劇中ではどこが舞台になっているのかは説明がありません。私はもともと京都人だったので、というか、私が子どもの頃からよく遊び回っていた場所が登場したので、どこで撮影されたのかがすぐにわかりました。

2.FCの誘致活動の成果

ロケ撮影が容易に行われる場所を選択するという場合です。
『西の魔女が死んだ』:セットの建築が容易
→清里清泉寮にはセットが残っています。
『海猿』:鹿児島→宮崎
→あくまでも設定は鹿児島でしたが、実際には宮崎で撮影されました。

<設定の変更(3) 人物設定の変更

登場人物の年齢変更
小説:太郎やたまきは小学生
映画:太郎やたまきは中学生
    太郎中1、たまき中2

理由として考えられること:

二人の間の感情を「恋愛」として表現するため。
→小学生:恋心 → 中学生:恋愛 というイメージ

人間としての自立性をより強調するため。

「年下の男の子」を効果的に使うため。

映画

小説

クラッチの位置づけの変更
いわゆるガキ大将ではあるが、キャッチボールをする仲の良い友だち。

クラッチの位置づけの変更病院ではいたずら小僧で、たまきをいじめ、太郎とはけんかする。しかし退院後は太郎とたまきを助ける。基本的に太郎とたまきの仲をとりもつ。出会いはクラッチをきっかけにしている。最初にリクエストするなど。

人物設定変更の理由:

枝になるトピックを削除して中心となるストーリーを際立たせるため。

時間短縮のため

↑以上は一般的な理由、以下はこの映画独自の理由

二人が誰かをきっかけにして出会うのではなく、「運命的」な出会いとして表現するため。
→太郎とたまきは同じ日に入院する(原作とは異なる)。

成人したたまきの設定変更

小説:ラジオ局のDJ
映画:ラジオ局のディレクター

理由:
太郎があこがれていたDJ尾崎を番組に呼んで太郎の最後のリクエストはがきを読ませるため。

*その他、人物設定変更の事例

映画化に際して登場人物を減らしたり、増やしたりする場合がある。
Ex.『セカチュー』:無名の少女が「律子」としてキャラ設定される。朔太郎の現在と過去を客観的に結びつけると同時に、朔太郎を過去の呪縛から解放するためのキーパーソン。

<設定の変更(4) テーマの変更>

映画

小説

「伝える」:DJとしてのアイデンティティ→「DJをしていることが生きているということ」

太郎とたまきの恋愛

 →2つがメインテーマ

親子:父と息子→サブテーマ

「伝える」:DJとしてのアイデンティティ

太郎とたまきの恋愛

親子:父と息子→3つがテーマ

小説では主人公が「男の子」であることを意識して「父-息子」のテーマが重視されています。

父-息子の関係:父と息子の葛藤
高野 父-息子(正彦-太郎)
  正彦-正彦の父
結城 父-息子(道夫-周平)
高崎 父-息子(雄二-太郎):大先生-若先生

映画版ではテーマを単純化するためにサブテーマになりました。

<設定の変更(5) シーンの変更>

映画では大幅にシーンを削除したり、シーンを追加したり、順序を並び替えたりします。

削除されたシーンの例:

太郎のいない病室で一人リラックスする母(ひろ子)のシーンとその心情
タエのリクエストと戦争中の話(タエの息子と大先生は戦友)
太郎が「ラストコンサート」のLPをたまきに渡すシーン
太郎が絶対安静になって放送を中止した後、リクエストされた人へ太郎が返事を書くシーン。
(映画ではタエが返事を手でなでている)
映画館からたまきの家に逃げるシーン

追加されたシーンの例:

冒頭、たまきが全身包帯で覆われて運ばれるシーン
→前述の通りの理由

オリオン座願い星のシーン
→二人の秘密:親密性の表現

函館山でのエピソード
→太郎の強い想いとたまきに対する気遣いを表現

太郎が書いたラブレターを正彦が読むシーン
→「伝える」というテーマを表現するためのアイテム

内容が変更されたシーンの例:

【サングラス】周平がサングラスを太郎に贈る(小説では結城が渡す)→あこがれの人から直接渡される方が太郎の喜びが大きい。周平の感謝の気持ちを表現。

【最初のリクエスト】結城が死の直前に(小説ではクラッチ)

【最初の生放送】結城のリクエストに応えるため(小説ではタエをゲストに迎えるため)→結城に対する想いと同時に「死」に対する太郎の関心の深さを表現する。

【たまきの退院】大先生の選曲で「亜麻色の乙女」を放送(小説ではたまきのリクエストで「ラストコンサート」→ここでたまきのリクエストに応えてしまうと、エンディングで表現されるDJとしての太郎の気持ちを効果的に描写できない。

順序が変更されたシーンの例

【両親がマル秘ノートに書かれたALLという言葉に気づくシーン】大部屋に移ってすぐにこのシーンがある(小説ではたまきが退院した後)
→観客は後半の「告知」のシーンで、太郎は早いうちから自分が白血病であったことを知る。自分が長い間苦しんでいるにもかかわらず母を気遣い、「もう秘密にしなくてもいいよ」と言うということに観客は感動する。シーンの順序を変更することで感動が大きくなる。

シーンが変更される理由:

1.上映時間の問題→映画館で上映される映画の時間はおおよそ2時間

2.テーマの明確化およびストーリーの単純化
→小説という印刷媒体の場合、読者は時間があるときに自分のペースで本を読む。理解できない場合にはもどって読み直す。映画館で上映される映画は途中でとめることができない。理解できなくてもストーリーは展開する。したがって1回で観客の視聴覚に訴える作品にする必要がある。

3.ストーリーの焦点の明確化
→テーマにあわない観客を不快にさせるシーンはカットする(暴力シーンや辛酸なシーンなど)。

4.理解度をあげる
→登場人物を減らしてストーリーを単純化することによって感情移入を容易にする。

5.時代設定への適合
→原作とは異なる時代設定をした場合には、観客に違和感を感じさせないように変更を加える。

<設定の変更(6) キーアイテムの利用>

映画は視聴覚を利用するメディアであるため、主人公の心情を象徴的に表現するアイテムが用いられる(上映後にアイテムが販売されることが多い)。

「Little DJ」:マル秘ノート、レコード、ラジカセ、サングラス、ラブレター、映画、リクエストはがき、トンボ玉
「セカチュー」:カセットテープ、WALKMAN
「クローズドノート」:ノート、万年筆、紙飛行機




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