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社会学入門2011 第7講 地位と役割(3) [社会学入門]

社会学入門2011 第7講 地位と役割(3)

 地位に期待される役割をいったん取得したとしても、同じ地位にあったとしてもその役割がずっと続くわけではない。環境や条件が変わることによって期待されるされる役割が変化することがある。また行為者自身が自分の役割を変えていく場合もある。

今回の教材

「Mother」(第8話)
監督:水田伸生、長沼誠
脚本:坂元裕二
製作:次屋尚、千葉行利
出演:松雪泰子、山本耕史、酒井若菜、倉科カナ、芦田愛菜

2010年4月14日~6月23日、日本テレビ、水曜22:00
水曜ドラマ

<道木仁美の変化>

 今回は主人公ではなく怜南の母親道木仁美の2003年から2010年までの変化について分析する。

<分析のポイント>

 分析のポイントは次の2点。

1.「ギュー」っと抱きしめる行為
2.「状況の定義」という分析の視点

<状況の定義とは?>

「人が自分の置かれた状況を認識し、その意味を解釈すること」=状況の定義

→状況を定義するのは行為者自身
→定義する内容は個人によって異なる

 状況の定義は社会化の中で習得され、同じ社会に所属するメンバーあるいは文化を共有するメンバーが同じ状況の定義を行う場合がある。行為者は定義した内容に従って行動する。

 前回、乗客の例をとりあげたので、乗客を例に状況の定義について説明したい。

 電車の乗客は、自分が乗客に乗った状況を「一時的な地位としての乗客になった」と定義する。そしてこれまでに習得してきた役割リストから「乗客」という役割をとりだし、その役割を行う 。電車に乗った乗客の多くは相互にそれぞれの定義を感じ取って、同じ状況の定義を行うため(模倣)、乗客はよく似た行動を行う。

<怜南誕生ー家族の誕生(2003)>

 恋愛をしていた男女が結婚し、「愛の結晶」としての子どもが誕生した。夫婦はこの子どもの誕生を純粋に喜んだ。夫は仕事をして必死に働き、一方妻は家事・育児に従事する。これは第二次世界大戦後、アメリカ文化の影響を受けた日本人が「理想像」と定義した「核家族イメージ」と合致する。
 理想的な核家族イメージを実現した仁美は、おそらく幸福感を味わっていただろう。そして家族のために働き、子どもをかわいがる夫と娘を愛し、家事・育児に従事して夫に尽くす良妻賢母、という「理想的な妻」の役割をはたす。この役割は夫婦がともに期待するイメージである、だけでなく、世間一般が期待する役割でもあった。

<夫の死後(2006)>

夫が死に母子家庭になっている。そのため一人で、働き、夫との愛の結晶である子どもを愛し、育てる。これは必死に働く母親という役割である。

☆母子家庭の母親は必死に働くというイメージ
☆子どものために働く母親を評価するイメージ

これらは仁美自身が自分の状況を定義した内容であり、その定義の中での母親の役割期待である。そしてこの役割期待は社会全体が共有している。

仁美は次のように考えていた。怜南はいろいろな人がほめてくれる。でも母親(自分)をほめる人はいない。こういう意識は子どものためにがんばって働く母親というイメージを揺らがせることになる。

近所に住むおばあちゃんが怜南を預かって仁美を支えている。 この女性は仁美の行動を肯定する存在である。この女性が存在することで、仁美の役割期待は肯定される。

<支援者の転居>

 母娘を支えていた女性が転居してしまう。支援者を失った二人の生活はどんどんすさんでいく。怜南は成長して自意識が芽生え始めている。今までとは異なって母親に対して反応するという子である。今までよりも愛情が注がれていないと感じた怜南は母親の関心をかうように行動する。反抗的な態度、自分の言うことを聞かない怜南に仁美は戸惑いを感じる。
 反抗的な行動にストレスを感じながらも、育児が大切だという意識はある。つまり母親は子どもを愛し、育てるというイメージ(役割意識)はある。
 子どもが寂しい思いをしていることを感じるだけの精神的余裕はまだ残っている。

<他者との接触>

 仕事に行っている間、怜南を保育所に預けることにしたが、保育所の空きがなく、遠くの保育所を利用することになる。これまでは職場と家の往復で、他者との接触がほとんどなかったが、保育所に預けることによって子どもを介した新しい他者との接触がはじまる。

 仕事が延長すると保育時間内に迎えに行けない。そのため保育所から非難の声が上がっている。

 他の母親との接触場面では、きちんとしつけられている子どもに対し、怜南は他の子どものように静かに遊ぶことができない。そして他人からしつけの悪さとその原因が「父親の不在」であると指摘され、強いショックを受ける。

 こうした他者との接触によってさらに自分が取得している母親としての役割が不安定になる。

<体罰の肯定>

 しつけとしての体罰の必要性を指摘される。それまで仁美には育児に体罰が必要というイメージがなかった。それまで仁美は

体罰 = 悪 というイメージがあった。彼女の期待した母親としての役割には体罰がなかった。だから実際に怜南に体罰をしたときに罪悪感が生じていた。

 体罰をつらいと感じるのは相手の立場に立って考えるからである。体罰を受けた方は痛いし、精神的にショックを受けるだろうということを想像するからつらくなる。しかし体罰が常習化すると相手の立場に立って考えなくなる。デコピンした怜南がむくれて反抗的な態度をとるようになると、よけいに怜南の気持ちを考えなくなっていく。

<怜南から離れる>

 仁美は怜南が寝てから友だちと遊びに行くようになる。
 自分のいらだちを子どもにぶつけるようになる。

 この時点において明確に母親としての役割が変化する。すなわち子どもに無償の愛をそそぶ母親というイメージ、子どものことだけを考えて行動する母親という役割ではなくなる。むしろ母親としての役割よりも自分の欲求を重視する『女性』という地位に近づいてく。これは友だちや他の母親との接触によって社会化されたからである。

<不可逆的な変化>

 仁美は夫のことを思い出して海のレストランに行く。怜南は天使のような笑顔で仁美を喜ばせ、仁美は一瞬現実を忘れる。しかし近くにいた客は「うるさい」という視線を送る。それによって仁美は現実に引き戻される。自分たちを守ってくれる夫(父親)が不在であること。つまりかつての理想的な核家族に戻れないことを再確認した。
 元に戻れないことを確認した仁美は家族の解体を決意する。子どもを海において逃げようとする。逃げるところを怜南に見られる。それによってこの段階での家族の解体はあきらめる。

<新しい出逢い>

 仁美は一人でバーに飲みに行く。そしてそこで男と出会う。この男は仁美に対して役割期待をする新しい存在である。
→男は理想的な家族を希望していない。
→自分の生活を支える女性を求めている(役割期待)

最初のうちは、仁美は男の役割期待を取得しようとはしない。

<新しい役割期待>

 男が同居するようになり(大きな環境の変化)、男との接触頻度が増加する。接触頻度が増加すると社会化の機会が増加することになる。仁美は娘との二人の生活では行わなかった状況の定義を行う。

 男との生活の中で仁美は娘は自分にとって「邪魔」な存在だと定義し、虐待を行うようになる。ただ男が子どもを気絶させたことを知って「罪悪感」がもどる。そして心中しようとするが、子どもにぎゅーっとされて心中をやめる。

<地位の変化>
母親から恋する女へ。

仁美は娘を自宅から追い出して男と二人の生活をする。

<役割の変化>

 母親という役割を期待したのは、「夫」でありその期待をうけた自分である。夫の死後はいったん取得した役割が維持されているのだが、同時に世間と自分も「母親』という役割を期待している。
 娘が成長すると娘が仁美に母親としての役割を期待するようになる。
 男と同居し、男が期待する役割を取得することによって自宅という「場」において母親から女に変化する。この役割の変化(地位の変化)によって仁美の意識自害が変化する。


<意識の変化>

虐待事件のニュースを見たときの仁美の反応

役割が変化するとものの考え方や意識までも変化する。

<役割期待は相互行為>

子どもはいつも「社会化される者」とは限定されない。
親が子どもから社会化されることがある。

コミュニケーションの中では「社会化される者」と「社会化の担い手」が相互に入れ替わる。

母親は子どもによって母親になっていく。


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