映画の社会学 第13講 批評的方法(2) 原作と映画の相違 [映画の社会学]
映画の社会学 第13講 批評的方法(2)原作と映画の相違
対象作品
『クローズド・ノート』
映画 小説
監督:行定勲 原作者:雫井脩介
プロデューサー:甘木モリオ 出版社:角川書店
脚本:吉田智子、伊藤ちひろ、行定勲
講義では表形式のプリントを配布しました。ブログではそのままの形では貼り付けられなかったので、以下、「備考」、「映画」、「小説」という順で内容が表示されます。最後まで、目を通していただければ、何となく内容がつかめると思います。時間があれば、後日内容を修正します。
①設定の変更
人物名の変更
↓
小説では文字で表現するため読者の想像力が重要。映画は視聴する媒体であるため、視聴することを前提とした変更が必要になる。
石飛リュウ(ペンネーム)-隆(日記の中)
本名:石飛 隆
変更の理由:
イラストレーターのリュウと日記の中の隆が同一人物だとわからないようにする工夫。ただし対象は観客ではなく香恵。
店の名前の変更
イマヰ萬年筆
万年筆というキーアイテムを強調するために万年筆専門店に変更
→万年筆の強調は店の名前の変更だけでなく、香恵の父親に関するエピソードを加えることによっても行われる。
父親は大学入学と同時に(その前に?)死亡。母親は別の男性とできちゃった再婚する(最初のシーン)。
一人暮らしになった理由を明確にする。同時に「孤独感」を演出。
Ryu(ペンネーム)-隆(日記の中)
本名:石飛隆作
今井文具堂
→石飛が画材を購入する文具店
→文具購入のついでに万年筆を購入
万年筆に関するうんちくを数十ページ書くことによって読者に万年筆の重要性を強調する。
香恵の両親の変更
両親ともに健在。マンドリンクラブの演奏会に呼ぶかどうかという会話がある。
②舞台
この作品は特に「どこ」という地域の設定はない
撮影は京都を中心に、セットも京都風の風景を再現。
映画では内容からのイメージ、ストーリーの変更、撮影の容易さなどの要因によって原作とは異なる場所が設定されることがある。この映画はストーリーと舞台とが結びついていないため、特に地名はあげられていない。監督の映画に対するイメージが京都だった。
③トピックの変更
香恵の万年筆=父親の形見
父親の高校入学祝い。ドルチェビータ・ミニ。「南イタリアの太陽の色。お父さんの愛情が伝わる一品だよね。明るく伸びやか勉学に勤しんで欲しいっていう、お父さんの娘を思うストーリー」
父親の形見という設定に変更することによって香恵が万年筆に特別の思い入れをしていることが示される。同時にキーアイテムとしての万年筆が強調される。
さだまさし『案山子』のトピックは削除される。
田舎から上京したという設定がなくなった。映画全体のトーンに合わない。「孤独感」は母親の再婚、父親の死という説明によって表現されている。などの理由から採用されなかった。および時間の問題。
→映画ではストーリーを明確にするため、枝になるトピックは削除されることが多い。
物語前半では地名は登場しない。後半になって「上京」あるいは「表参道」や「外苑前」が使われ、東京ということがわかる。
香恵の万年筆
高校の入学祝いに父親と一緒に購入したエピソードが描かれている。
:このままだとたんなる入学祝いの万年筆。
さだまさし『案山子』とそのMD
『案山子』が田舎から上京して孤独だという香恵の心情を表現するトピックになる。
映画にはない。
時間の問題。ストーリーの単純化。
映画にはない。
時間の問題。ストーリーの単純化。
UFO事件
→伊吹は隆のアパートの下で叫ぼうとしたが「やめた」。香恵はこの日記の内容を気に入って、自分が実行している。
香恵のキャラクターを変更した影響。小説では香恵はかなり「おっちょこちょい」、「天然ぼけ」に描かれている。映画では香恵の性格を伊吹に近づける。→似たもの同士。こうした演出によって観客は香恵を通して伊吹に感情移入する。
同時に小説のように香恵と石飛との関係が深まるエピソードとして利用される。
弁当差し入れ事件
→星美というマネージャーがいることを知り嫉妬する。弁当は食べてもらえない。
→この後、橋の上で七色の鯉の話をして二人で自転車に乗る。
伊吹と隆のすれ違い-香恵と石飛のすれ違いがパラレルで描かれる。二人の関係がうまくいったり、いかなかったりという「ゆらぎ」を描くことによってクライマックスへ向かって観客の感情を高めていくことをねらっている。
君代の母親との手紙のやりとり
学際シーン。
このエピソードによって先輩-後輩関係が明確になる。
伊吹が隆に「あ、UFOが飛んでいる!」と携帯メールを送信している。隆はコンビニの袋を提げて公園の滑り台の上にのぼって空を見上げていた。
→このエピソードの後、香恵は石飛と出会って、自分のマンションに連れて行く。
香恵は石飛が一人でいるときに弁当を差し入れ、二人で仲良く食べる。ギャラリーでの個展に誘われる。
④キーアイテム
主人公の心情を象徴的に表現するため映画では様々なアイテムが用いられる。
販売することを目的にアイテムが用いられることがある。
万年筆
万年筆は気持ちが文字に表れる繊細を持っている。→気持ちの率直な表現
日記
主人公の心情が率直に描かれたもの
→ただし小説とは異なった表現が必要
紙ヒコーキ
登場人物の心情を映像で表現できる(心情の投影)。伊吹の気持ち(相手に届かない手紙)、香恵の気持ち、石飛の気持ち→「解放」「自由」
→伊吹の気持ちは紙ヒコーキに乗って石飛に届くのか? 君代→香恵を介して石飛に届く。日記に残っていた手紙が普通に読まれるよりも感動が大きい。
日記に描かれた世界を映像化
→隆をVシネマの主人公に代えて描く。石飛=隆とはわからないようにする工夫。小説にはVシネマは登場しない。
万年筆
→共通
日記
→共通
文字だけで表現。
→小説にはない
小説では隆への手紙が日記に残っている。
⑤映画独特の表現
映画は読む、聞くメディアではなく「視聴覚」メディア。視聴覚を刺激して感動させる工夫が必要。
日記:
そのまま文字で表現し読者に読ませる。
対象作品
『クローズド・ノート』
映画 小説
監督:行定勲 原作者:雫井脩介
プロデューサー:甘木モリオ 出版社:角川書店
脚本:吉田智子、伊藤ちひろ、行定勲
講義では表形式のプリントを配布しました。ブログではそのままの形では貼り付けられなかったので、以下、「備考」、「映画」、「小説」という順で内容が表示されます。最後まで、目を通していただければ、何となく内容がつかめると思います。時間があれば、後日内容を修正します。
①設定の変更
人物名の変更
↓
小説では文字で表現するため読者の想像力が重要。映画は視聴する媒体であるため、視聴することを前提とした変更が必要になる。
石飛リュウ(ペンネーム)-隆(日記の中)
本名:石飛 隆
変更の理由:
イラストレーターのリュウと日記の中の隆が同一人物だとわからないようにする工夫。ただし対象は観客ではなく香恵。
店の名前の変更
イマヰ萬年筆
万年筆というキーアイテムを強調するために万年筆専門店に変更
→万年筆の強調は店の名前の変更だけでなく、香恵の父親に関するエピソードを加えることによっても行われる。
父親は大学入学と同時に(その前に?)死亡。母親は別の男性とできちゃった再婚する(最初のシーン)。
一人暮らしになった理由を明確にする。同時に「孤独感」を演出。
Ryu(ペンネーム)-隆(日記の中)
本名:石飛隆作
今井文具堂
→石飛が画材を購入する文具店
→文具購入のついでに万年筆を購入
万年筆に関するうんちくを数十ページ書くことによって読者に万年筆の重要性を強調する。
香恵の両親の変更
両親ともに健在。マンドリンクラブの演奏会に呼ぶかどうかという会話がある。
②舞台
この作品は特に「どこ」という地域の設定はない
撮影は京都を中心に、セットも京都風の風景を再現。
映画では内容からのイメージ、ストーリーの変更、撮影の容易さなどの要因によって原作とは異なる場所が設定されることがある。この映画はストーリーと舞台とが結びついていないため、特に地名はあげられていない。監督の映画に対するイメージが京都だった。
③トピックの変更
香恵の万年筆=父親の形見
父親の高校入学祝い。ドルチェビータ・ミニ。「南イタリアの太陽の色。お父さんの愛情が伝わる一品だよね。明るく伸びやか勉学に勤しんで欲しいっていう、お父さんの娘を思うストーリー」
父親の形見という設定に変更することによって香恵が万年筆に特別の思い入れをしていることが示される。同時にキーアイテムとしての万年筆が強調される。
さだまさし『案山子』のトピックは削除される。
田舎から上京したという設定がなくなった。映画全体のトーンに合わない。「孤独感」は母親の再婚、父親の死という説明によって表現されている。などの理由から採用されなかった。および時間の問題。
→映画ではストーリーを明確にするため、枝になるトピックは削除されることが多い。
物語前半では地名は登場しない。後半になって「上京」あるいは「表参道」や「外苑前」が使われ、東京ということがわかる。
香恵の万年筆
高校の入学祝いに父親と一緒に購入したエピソードが描かれている。
:このままだとたんなる入学祝いの万年筆。
さだまさし『案山子』とそのMD
『案山子』が田舎から上京して孤独だという香恵の心情を表現するトピックになる。
映画にはない。
時間の問題。ストーリーの単純化。
映画にはない。
時間の問題。ストーリーの単純化。
UFO事件
→伊吹は隆のアパートの下で叫ぼうとしたが「やめた」。香恵はこの日記の内容を気に入って、自分が実行している。
香恵のキャラクターを変更した影響。小説では香恵はかなり「おっちょこちょい」、「天然ぼけ」に描かれている。映画では香恵の性格を伊吹に近づける。→似たもの同士。こうした演出によって観客は香恵を通して伊吹に感情移入する。
同時に小説のように香恵と石飛との関係が深まるエピソードとして利用される。
弁当差し入れ事件
→星美というマネージャーがいることを知り嫉妬する。弁当は食べてもらえない。
→この後、橋の上で七色の鯉の話をして二人で自転車に乗る。
伊吹と隆のすれ違い-香恵と石飛のすれ違いがパラレルで描かれる。二人の関係がうまくいったり、いかなかったりという「ゆらぎ」を描くことによってクライマックスへ向かって観客の感情を高めていくことをねらっている。
君代の母親との手紙のやりとり
学際シーン。
このエピソードによって先輩-後輩関係が明確になる。
伊吹が隆に「あ、UFOが飛んでいる!」と携帯メールを送信している。隆はコンビニの袋を提げて公園の滑り台の上にのぼって空を見上げていた。
→このエピソードの後、香恵は石飛と出会って、自分のマンションに連れて行く。
香恵は石飛が一人でいるときに弁当を差し入れ、二人で仲良く食べる。ギャラリーでの個展に誘われる。
④キーアイテム
主人公の心情を象徴的に表現するため映画では様々なアイテムが用いられる。
販売することを目的にアイテムが用いられることがある。
万年筆
万年筆は気持ちが文字に表れる繊細を持っている。→気持ちの率直な表現
日記
主人公の心情が率直に描かれたもの
→ただし小説とは異なった表現が必要
紙ヒコーキ
登場人物の心情を映像で表現できる(心情の投影)。伊吹の気持ち(相手に届かない手紙)、香恵の気持ち、石飛の気持ち→「解放」「自由」
→伊吹の気持ちは紙ヒコーキに乗って石飛に届くのか? 君代→香恵を介して石飛に届く。日記に残っていた手紙が普通に読まれるよりも感動が大きい。
日記に描かれた世界を映像化
→隆をVシネマの主人公に代えて描く。石飛=隆とはわからないようにする工夫。小説にはVシネマは登場しない。
万年筆
→共通
日記
→共通
文字だけで表現。
→小説にはない
小説では隆への手紙が日記に残っている。
⑤映画独特の表現
映画は読む、聞くメディアではなく「視聴覚」メディア。視聴覚を刺激して感動させる工夫が必要。
日記:
そのまま文字で表現し読者に読ませる。
2008-12-20 08:43
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