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社会学入門2012 第7講 地位と役割(2) [社会学入門]

社会学入門2012 第7講 地位と役割(2)


 今回のテーマは引き続き「地位と役割」です。題材である『オレンジデイズ 第1話』のオープニングシーンで企業面接の帰り、地下鉄のホーム櫂がいます。このシーンには携帯電話で話をしながら頭を下げるサラリーマンと、合コンの話をする大学生がいます。そして櫂は、
「僕は今、学生と社会人の中間にいる」
というセリフ(ナレーション)を言います。就職活動中の4年生の人は同じような印象をもっておられるのではないでしょうか? このシーンは社会学的にはどのような意味をもっているのでしょう。
 続いてカフェでのシーンです。サトエリ演じる女性に「ゲー」だと告げる場面の後で、翔平と櫂が口げんかをします。その中で櫂の言葉を受けて啓太が次のような台詞を言います。
「試験落ち続けるとさ、新橋のガード下で酔っぱらってるサラリーマンも輝いて見えるよな。ああ、この人たちはちゃんとどっかの企業が採ってくれたんだ。どっかに所属してんだ、って。俺ら、だって大学卒業したらただのプーだぜ。どこどこの誰々って言えないんだぜ。」
このセリフは何を意味しているのでしょう。今回はこれらのシーンを社会学的に分析することから始めます。
 櫂が使った「学生」や「社会人」という言葉を、社会学では「地位」(status)と呼びます。辞書的には、「地位とは、集団や社会に占めるその人の立場」と定義できます。そしてすべての人間には「地位」があります。ドラマの中に登場した地位について考えてみましょう。娘や母親といった家族内の地位、大学の学生、バイト先のチーフ、プロカメラマンの助手、自分で稼いで生活している「社会人」などの地位が見られます。そもそも「名前」は人間が最初につく「地位」です。
 人間にとって「地位」とは何でしょう。物事の意味を考えるときには、仮にそれが「ない」場合を考えてみるとわかる場合があります。
 もし人間に地位がないとすると、どういうことが生じるのか。たとえば、「名前」がなければどういう問題が生じるでしょう。我々は記憶喪失によって名前を忘れてしまった人がいると、必ず名前をつけます。ネットで書き込む場合では本名は使わなくても、ハンドルネームを使います。「匿名」という「名前」を使う人もいますが。名前のないペットにも最初に名前をつけようとします。名前のないペットを見ると、「なんて、呼んだらいいの?」と言って、名前がついていないことに強い疑念を示します。
 それでは名前は「相手を呼ぶだけ」のためにあるのでしょう? それともそれ以外に何かようとがあるのでしょうか。
 「地位」が何であるのか、という疑問に対する答え、名前がどんな働きがあるのか、ということについての回答は、啓太の言葉に隠されています。啓太は「どこかに所属してんだ。どこそこの誰々」と言っています。この「所属」ということが「地位」と密接に関係しています。
 個人が何らかの地位に所属します。名前があるということは、生まれたときから所属先が「ある」ということになります。櫂は結城櫂という名前です。つまり櫂は「結城」という家に所属しているということを示します。
 どこかに所属しているということについてもう少し深く考えてみます。我々がどこかに所属しているということについて、啓太は次のように言っています。
「俺ら、だって大学卒業したら、ただのプーだぜ。どこどこの誰々って言えないんだぜ」
啓太は所属先がないということについて、大きな不安を感じています。これは所属感の喪失ということであり、アイデンティティに関わる問題です。
 アイデンティティとは何か。アイデンティティとは「個人の存在を証明するということ」です。そして個人の存在は、自分自身では証明できません。自分自身で自分のことを証明しても、それを誰もが信じるとは限らないからです。「社会的に存在が認められ」ないと、自分の存在を証明したことになりません。すなわち自分の存在は「客観的事実」によって証明される必要があります。
 地位は多くの人が認める立場で客観的です。ある地位に所属しているということが、その人の存在を証明することになります。
 オープニングの「学生と社会人の中間」というシーンは、「所属がはっきりしない中途半端な状態」を示しています。つまり主人公が「不安定」な状態にあるということを表現します。地位が変化するということは所属先が変わるということになり、心理的に「アイデンティティが揺らぎ」を感じているという状態です。学生から社会人になるというのは、まさに地位が変化するということであり、櫂は「アイデンティティの揺らぎ」を感じ、不安定になっています。
 櫂の冒頭のナレーション、「そして、僕は子どもでいられる最後の年に、彼女と出会ったんだ」、という言葉が示すように、このドラマ全体に登場人物たちの「揺らぎ」が描かれています。「学生と社会人の中間」というシーンはドラマ全体に通じるテーマを表現しているのです。
 さて実際、「フリーター」や「プー」と表現される人たちは、心理的にどこにも所属できない不安定な状態にあります。こういう状態を「アイデンティティ喪失」と呼びます。長期間にわたって「アイデンティティ喪失」の状態が継続すると、人間として生きていくことがつらくなります。極端に言えば、「存在していない」ということと同義だからです。そういう人たちには明確な「地位」を確保しなければなりません。
 地位といっても多種多様です。ここでは4種類の地位について説明します。<人との関係性で見た場合>「構造的地位」と「対人的地位」の2種類があります。<時間的に見た場合>地位は「一時的地位」と「恒常的地位」に分けられます。これらの種類の地位は、実際には明確に区別されるわけではなく、複数の地位に同時に所属したり、いくつかの地位を繰り返して変わったりします。
<構造的地位>
 構造的地位は、職業、年齢、性差、家族内の立場、社会階層など社会の多くの人が、「共通して」固定的なイメージとらえる「地位」のことです。いわゆる「社会的地位」(social status)にあたります。ドラマに登城した構造的地位には以下のような地位がありました。
学生、サラリーマン、兄妹、母と娘、大学教員、大学事務職員、店員など
<対人的地位>
 我々が友人たちと一緒にいるとき、最初から集団内の立場が決まっていることはありません。集団内の地位は、「他者との関係」(相互作用)、実際のやりとりの中で、自覚的あるいは自然に形成されます。これを「対人的地位」と呼びます。
 ちなみに他者との相互作用によって形成された「対人的地位」が、多くの人に承認されて固定的なイメージでとらえられるようになると「構造的地位」になります。
 ドラマの中で描かれた対人的地位には次のようなものがあります。
就職課掲示板前での櫂と沙絵の対人関係
 沙絵に対する櫂の話し方を見ると、櫂は自分が上級生、あるいは少なくても就職活動上の先輩だと考えていることがわかります。そして櫂は「先輩」のように対応しています。
→声の調子。別のシーンで会話するときのトーンとは全く異なります。
櫂、翔平、啓太の対人的地位
→女の子とのつき合い
→要領よく世間を渡っていく
→きまじめで人望がある
櫂と真帆の関係
 櫂と真帆の地位は、対人的地位→構造的地位の典型的な例です。ドラマの中で櫂は真帆に「あなたは僕の恋人なんだから」という言葉を何度か言います。これは「恋人」という構造的地位にあることを明言しています。それに対して真帆の方は、構造的地位に所属することに対して少し抵抗感があるようです。
 「恋人」というのは、他者も承認する関係なので、構造的地位です。しかし承認される前は恋人という固定的な関係ではありません。人によって状況は変わりますが、大部分の恋人関係は、恋人という構造的地位が形成される前に対人的地位によって構成される関係の段階があります。
 櫂と真帆の場合、先輩と後輩という構造的地位による関係が出発点になっています。しかしこの関係は櫂と真帆とのやりとりの中で変化しました。おそらく櫂が想像以上にしっかりしていたため、真帆は櫂を頼りになる存在として意識するようになったのでしょう。そして先輩が後輩に依存するというように対人的地位が形成されます。そしてその後、恋人という構造的地位へと変わろうとしています。
 ただし真帆は年上、先輩という構造的地位へのこだわりがあります。だから自分が櫂の恋人だと主張すること、それを周囲が認めることに抵抗を感じているのです。
<一時的地位>
 「一時的地位」は、その場の状況によって一時的に占める地位のことです。たとえば、電車やバスの乗客、デパートの客、通行人などがあげられます。
 ドラマでは・・・
面接試験の受験生、地下鉄の乗客、カフェの客、遊園地の客、タクシーの客が対人的地位の例になります。
 一般に「客」は一時的地位ですが、「常連客」や「顧客」は一時的に占める地位でなくなっており、次の「恒常的地位」になります。
<恒常的地位>
 「恒常的地位」は、長期間(場合によっては生涯にわたって)占める地位です。その大部分は「構造的地位」になります。
 ドラマでは・・・
「兄」、「妹」、「母」、「娘」、「ピアニスト」、「大学教員(大学の指導教官)」、「会社員」が恒常的地位にあたります。「学生」は「一時的地位」よりは長期にわたるため、「恒常的地位」と考えられます。
 さて、「地位」は人が所属する枠組み(器)=ハードウェアです。それでは器の中身、ソフトウェアは何でしょう。社会学では地位の中身を「役割」と呼んでいます。
 「役割」は、地位に期待され、望まれ、あらかじめ用意された行動様式を指します。安定した社会(戦争や紛争などが生じていない社会)では、地位ー役割が対応しています。
「構造的地位」-「構造的役割」
「対人的地位」-「対人的役割」
「恒常的地位」-「恒常的役割」
「一時的地位」-「一時的役割」
 日常生活の中で我々は相互に相手の地位に対する役割を期待しています。これを「役割期待」と呼びます。
 相互に期待している役割通りに行動することを「役割取得」と呼びます。我々は日常生活の中で役割期待に応えて役割を取得しようとします。役割期待や役割取得は何を生み出しているのでしょうか。
 相手が期待していると考える行動をとることによって、すなわち役割取得した行動を行うことによって、集団や社会、その場の秩序が維持されます。場の雰囲気が崩れないということは、場が安定しているということです。当然、我々の相互の関係も安定します。対人関係が良好な状態で維持されれば、相互に相手を信頼し、安心して生活することができます。もしも相手が期待しているとおりに行動しなければ、相手を「危険人物」だと考え、不安を感じます。
 それではどのようにして役割取得が行われるのでしょう。
 一般に役割取得は同じ地位の人や同じ集団に属する人をモデルにして、相手の行動を「模倣」することによって行われます。たとえば、ドラマの中で啓太は先輩に呼び出されていますが、会社の先輩の行動を模倣することで、会社員としての役割を取得できます。
 あるいは相手の行動に対応することを繰り返すことによって、役割を取得する場合もあります。櫂と沙絵は豊島園でデートします。この時、櫂は沙絵が「姫」であることを発見するのですが、その姫のような態度に対応することによって、櫂は姫を守る「ナイト」のような役割を取得していきます。
 人間にとって「模倣」は非常に重要な能力です。なぜなら人間は他の生物のように遺伝子レベルでの行動パターンをもたないからです。すでに説明したように一般的に生物は遺伝子に組み込まれたプログラムに従って行動します。生まれてすぐに立ち上がって母親の乳を飲んだり、親が運んでくるエサを食べるという行動は誰からも教わっていません。最初から行動プログラムがあるので、複雑な行動でも生得的に行うことができます。
 しかし人間はそうした能力を放棄してしまったために何らかの形で行動パターンを習得しなければ、何も行動することができません。人間は他者の行動を「模倣」することによって行動パターンを習得します。もし人間に模倣の能力がなければ人間になれません(人間らしい行動をとれません)。このように模倣によって行動パターンを習得するプロセスを、社会学では「社会化」と呼んでいます。
 この模倣の能力に加えて、人間には他の生物とは異なる能力を持っています。それは「他者の視点に立って物を考えることができる」という能力です。模倣の能力は一部のほ乳類にもみられますが、この「他者の視点でものを考える」という能力は人間に特異な能力です。この能力によって我々は「役割取得」が可能になります。また相手の気持ちを考えたり、共感したり、あるいは動機を推測することができるのです。
 我々は模倣によって行動パターンを習得し、人間としての基本的な行動を行うことができます。いわば人間になるのです。もしも模倣の能力や他者の視点でものを考えることができなければ、人間として社会生活を円滑におくることができません。しかし最近はこれらの能力が十分に発揮できない人が増えています。そのため人間関係でのトラブルが絶えなくなりました。これについてはまた別の機会に説明したいと思います。
 さてこの地位-役割は人間の行為にとってどのような機能(働き)を果たしているでしょうか。私たちは特定の場、状況で自分に与えられている「地位」にふさわしい「役割」とおりに行動しようとします。これは言い換えれば行動を拘束する規範になっていると言うことです。我々は取得した役割通りに行動することによって、安定した社会生活をおくることができます。我々は規範である役割を取得して、そのとおりに行動することで、円滑に生活しているのです。
 以前、行為のモデルを説明する中で、規範に従って行為するということは人間を「楽」にしていると紹介しました。まさに役割は人間の行為を自動化する仕組みであり、人間は役割という規範に従って行為する限り、何も考える必要はありません。
 たとえば、「学生」は学生という役割規範に従って行動している限り、社会的に非難されることはありません。しかし「社会人」になってから「学生」のように行動すれば、非難の対象になり、正常な人間としてつきあってもらえなくなるでしょう。
 さて役割を規範として受け入れ、期待される役割通りに行動することに何か問題はないのでしょうか。
 たとえば櫂と真帆の関係では、櫂は真帆に誰の前でも「恋人として振る舞う」ことを期待しています。櫂にしてみれば恋人という構造的地位に変化しているのだから、その構造的地位に期待される役割通りに行動するのは当然だと考えているのです。しかし真帆はそれを受け入れることができません。このように期待される役割を取得することに本人が何らかの抵抗を感じることは少なくありません。
 今回教材とした第1話ではあまり表現されていませんが、ドラマの中で聴覚障害者であるサエは、まわりの人間から聴覚障害者として対応されているシーンがあります。こうした対応にサエは傷つけられます。このように役割の中には本人の意志を無視した役割を強制されることがあるのです。子どもが生まれたとたんに「親として」の役割を期待されるということもそうした強制の一つになっています。家族の規模が大きかった頃には、子どもの誕生と同時に親は親として行動することが可能でした。なぜならそれまでに親としての行動を模倣していたからです。しかし現在のように単家族が一般化すると、我々は以前のように親としての行動をきちんと模倣することができなくなります。その結果、我々は模倣することなく親として行動することが期待されます。模倣の対象がないのですから、きちんと行動できないのは当たり前です。
 最後に地位と役割の対応が変化するということが問題になります。最初に説明したように社会が安定していると、地位と役割は固定的な関係になっています。しかし社会が安定せず、変化が大きくなると地位と役割の対応にも変化が生じます。前述の親としての行動もその一つですが、それだけではなく、多くの職種・職階においても地位と役割の関係が崩れていきます。世代間で役割のとらえ方が異なるのは、そうした社会変化を考慮できないからです。就職活動中の学生という地位に対する役割および期待は時代によって変化しています。しかしそのことに気づかず、昔と同じだと捉えている人は、現在就活中の学生に奇妙なプレッシャーをかけてしまいます。

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