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社会学入門 第7講 地位と役割(3) 規範はどこに? [社会学入門]

社会学入門 第7講 地位と役割(3)

 前回の授業終了後、「人間ってほんとに面倒くさいと思いました」というコメントをいただきました。確かに社会学でやっているように人間の行動を小難しく分析すると、人間というのは「面倒くさい存在」という気がしてきます。社会学で分析しているように実際の人間が考えて行動しているわけではないので、本当はさほど面倒くさい存在ではないのですが、面倒くさい存在であると感じる面もあります。特に濃い人間関係が求められる場面では、人間を相手にするのは面倒くさいと感じます。
 しかし逆に人間が、アリのようにきわめて単純な行動しかとらない存在であれば、「面倒」ではありませんが、「面白い存在」でもなくなってしまいます。人間は適当に面倒くさいのが一番です。

 さて前回の授業で「役割が規範」であるという説明をしました。役割は規範と同様に個人の行動を拘束する力」だからです。それでは規範はいったいどこにあるのでしょう。あるいは規範はいったいどこからやってくるのでしょう。「規範に従って自分で判断して」行動するとすれば、規範は自分の中にあると言うことができます。しかし規範は多くの人が「共有する」ものです。とすれば規範は個人のソトにあるということになります。
 この疑問についてテレビドラマを対象にして考えてみたいと思います。本当はこの疑問についてはテレビドラマではなく映画作品に最適なものがあります。スタンリー・キューブリックという監督がつくった『フル・メタル・ジャケット』という映画です。もしこの問題についてより具体的に知りたいという人は、ぜひこの作品を鑑賞してみてください。映画の前半部分は秀逸です。

 今回の題材は庄司陽子原作(原案)のマンガをテレビドラマ化した『生徒諸君 第1話』(2007年版)です。このドラマは、朝日放送(ABC)とテレビ朝日の共同製作で、毎週金曜日夜9時枠で放送されました。関東地方の平均視聴率は7.6%とあまりふるわなかったのですが、キャストはなかなか面白いと思います。
 
放送期間:2007年4月20日~2007年6月22日(全10話)

キャスト
北城尚子  : 内山理名
樹村珠里亜 : 堀北真希
青木公平  : 本郷奏多
木下薫   : 岡田将生

スタッフ
チーフプロデューサー:五十嵐文郎
プロデューサー   :奥住尚弘、内山聖子、梶野祐司、津川栄子
脚本     : :渡邉睦月
演出     : 唐木希浩、田村直己、常廣丈太
音楽     : 水谷広実、柳田しゆ、コーニッシュ


 このドラマの中では2年3組の担任教師という「地位」に期待される「役割」がいくつか登場しています。まず最初に明確に登場するのは最初のホームルームの時間です。ホームルームの時間に生徒が次のように発言しています。

「このクラスに先生はいらない。先生は予備校の講師のように授業だけをしていればいい」

設定が中学生なので「予備校」よりも「塾」という表現の方が自然な気がします。ともかく北城尚子が「先生は必要だよ。先生がいなくて誰がみんなを守ってくれる?」と主張すると生徒は、

「学校内の問題は3TDが解決してくれる」

と答えます。だからいくら「担任教師」とはいっても、何か特別なことをすることなく、担当科目を教えるだけの役目を要求したのです。これが2年3組の生徒が期待する担任の役割です。この役割は一般に担任教師という地位に期待される役割とは異なります。そしてこの役割期待は生徒たちだけでなく、学校の教師たちも共有しています。

 さてこのホームルームの場面では生徒たちの担任への役割期待だけではなく、生徒たちが学習した「大人社会の規範」が紹介されています。生徒たちは次のように言っていました。

「大人は平気で嘘をつく」
「大人は大人をかばい合う」

だから

「大人なんて信じられねエ」

これは生徒たちが読み取った、「大人たちが共有していると感じた規範」です。実際、生徒たちが「感じた規範」に従って大人たちは行動したのだと思います。これについてはもう少し後の話で登場します。生徒たちは大人たちの規範に対抗して自分たちの規範を作り出しました。それが「教師を無視する、教師を信じない行動」です。生徒たちは、北城尚子の最初のホームルームで、この規範に従って彼女を無視します。
 北城尚子に「名前を呼ばれても返事をしないで無視する」という規範に拘束され、生徒たちは返事をしません。この返事をしないという行動は自分たちで選んだ行動です。しかしその行動には個人差が見られます。数人の生徒は呼ばれた瞬間に「反応」しています。これが個人差です。

 職員室での場面では、教頭が教師という地位に期待される役割を説明しています。

「現在は公立学校でも生徒が集まらないんです。生徒はお客様。教育は受ける義務ではなく、サービス。先生はふれず、さわらず、さからわず、ですよ。」

教頭は、先生は生徒にサービスをほどこす役割を担っている、と主張します。こうした教師という地位に対する役割の変化は、このテレビドラマだけでなく、『金八先生シリーズ』でも描かれていました。実際、東京都は学校選択制を導入し、いわゆる校区外の中学校に進学する生徒が少なくありません。大学はすでにサービス産業化している面があります。この傾向は高等学校、中学校へも波及し、現在、各地の私立小学校もサービス産業化の傾向を示しだしています。

 北城尚子が校長に叱責される場面では、校長と教育長(鉄仮面)が2年3組の担任に期待する役割を紹介しています。

「形だけの担任で、あのクラスを卒業させることが役目」

鉄仮面日向はこの役割を遂行させるために、賞罰をちらつかせています。教育評価制度、指導不足教員、懲戒処分。ここでは明確に一般の担任に期待される役割とは異なることが、主張されています。この役割期待の内容は生徒たちの期待と一致しています。

 こうした場面と対比的な場面が渡辺順という生徒と北城尚子の行為です。
 渡辺順は小学校時代の友人たちにかつあげされたため、その報復を3TDに依頼しました。が、その依頼を北城尚子が奪ってしまいます。実はこの出来事が3TDが誰であるのかを明らかにすることになります(第2話)。こうした北城尚子は順の友人がいる中学校に乗り込んでいきました。3TDへの依頼を奪い取るということ自体、生徒たちからみれば規範違反です。実際、規範違反という北城尚子の行為は「制裁ベーム」という形で罰せられることになります。
 こうして北城尚子と順は名門私立校に乗り込み、結果的に問題は解決します。ここで北城尚子は、「学校同士ですます問題」という中学校の教師の規範を無視し、「生徒同士の問題」として処理します。これに関しては、1970年代頃までは「子どものケンカに親は干渉しない」という規範がありました。しかし1980年頃から徐々に「子どものケンカに親が干渉する」ことが一般的になります。順は友だちとの会話をICレコーダーに録音するという、一般に友人同士では行わない行動を行い、規範を破っています。つまり規範は個人の行動を拘束しますが、絶対的な力があるわけではないということがわかります。

 さて制裁ゲームの場面で、規範がどこにあるのかが明確に描かれます。
 順はこの場面で、「忘れたのかヨ。あの日のことを!」という言葉に反応して、「こいつのせいで金を取られた」と発言しています。「忘れたのかヨ」という言葉は自分たちの規範を思いおこさせる言葉です。そして順は自分たちの共有する規範に適合した言葉を発しました。ただ順は続けて、「左手をねらえ」という言葉も発しています。この言葉は北城尚子が痛めている場所を知らせるという意味をもつのですが、実際に痛めているのは「右手」なので、言葉の内容は嘘です。弱点を教えるというのは生徒同士の規範に適合した行動ですが、内容は逆になっているでのです。もちろんそのことが嘘だとわかるのは、順と北城尚子だけです。


 こうしてみてくると、「規範」が個人の中に「ない」ことは明らかです。規範は個人の中ではなく、ソト、人びとの間にあります。前回の授業の中で少し触れましたが、人間は誕生してからすぐに名前をつけられ、「家族」という社会集団に所属します。社会集団の中に生まれるといっても過言ではありません。その後もさまざまな社会集団に所属していきますが、大部分の社会集団がすでに存在しています。社会集団が維持されるためには「規範」が必要なので、個人が社会集団に所属するときには、すでに規範が存在しています。


 個人は社会集団の中で人びとが共有する、つまり自分の「ソト」にあって人びとの間にある「規範」を自分の中に取り入れます。これを「内面化」と呼びます。個人はソトの規範を内面化して自分の規範にします。何か行為するときには自分の中にある「規範」を参照するのですが、この規範はもともと個人のソトにあるものです。個人は自分の規範を利用していると考えながら、実は自分のソトにある規範を利用しています。もちろんそんなことをいちいち意識しているわけではありません。意識するのは、ソトにある規範に違反した行為を行うときです。
 北城尚子は生徒たちや教頭、校長、鉄仮面と対応することで、2年3組の担任の役割期待を知ります。しかし彼女はその規範には従いません。彼女はあくまでも一般に「担任教師」に期待される役割を遂行しようとします。こうした行為は意識しないとやれません。
 生徒の順も同じです。順は北城尚子と一緒に行動することによってクラスの規範を破っています。これは意識しないとやれません。

 さてこのように個人にとっての規範は一定ではありません。

「社会集団が変われば規範は変わります」
「集団のメンバーがかわれば規範は変わります」
「集団のメンバーにならなければ、規範を内面化することはできません」
「メンバーは互いに「間」にあると「信じている」規範によって秩序が守られています」=「信頼」に依存する関係


 次回は個人の中にある規範について考えてみたいと思います。



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